善男と悪男

あるところに、善男(よしお)と悪男(わるお)という二人の男がいた。二人の性格は真逆で、名前の通り善男は悪いことができない性格、悪男は一般的に悪いとされることを悪いと思えない性格だった。およそ相容れない二人であったが、登山という共通の趣味があり、登山仲間を探していた善男にとって、悪男は貴重な存在だった。

ある日、二人は冬山の登山に出かけた。朝から天気が良く、昼には登頂したが、下山を始めるや天候が急変。吹雪に見舞われ、視界がほとんど見えなくなるほどだった。暗くなる前に下山しなければ命の危険があるため、途中で休むわけにもいかなかった。登りに要した倍以上の時間をかけ、日が沈む頃になんとか下山。寒さと疲れと空腹でふらふらになった二人は、登山口付近の山小屋で暖を取ることにした。

「こんばんは……」
二人は山小屋に入り、入り口のドア付近の椅子に腰かけた。
「いらっしゃいませ……お客様、まさかこの吹雪の中、下山されたんですか……それは大変でしたね。どうぞストーブに当たっていてください。温かい飲み物をお出ししましょう」
山小屋の主人はそう言って、鶏ガラスープを二人の前に置いた。
「こちらはサービスです。生姜と一緒に煮込んでいますから、温まりますよ」
「どうも……ありがとうございます」
善男はお礼を言い、スープを口にした。
「ああ、温まる……親切な主人で良かったね、悪男」
悪男はスープを口にすると、小声で善男に言った。
「そうだな。ただ、このスープちょっと味が薄すぎるな。こっちは疲れてるんだから、もう少し塩分を効かせてほしいな」
善男はむっとして、
「滅多なこと言うもんじゃないよ。主人はサービスでくださったんだから」
と言った。
「まあ、体が暖まってきたしな。よし、腹が減ったから注文しよう」
悪男はメニューを開き、驚いた表情で言った。
「おい、善男。ここのメニュー、値段が高すぎないか」
「悪男、そういうことは、もっと小さい声で……」
善男は小声で注意した。
「でもよ、カレーライスが1500円だぜ。高過ぎだって」
「そうかもしれないけど、山小屋だからそんなもんだよ」
「いや、それにしても……うわっ、生ビール1杯1000円だってよ」
「しょうがないよ。いいから早く注文しよう」
「いや……注文せずに帰ろうぜ。俺はこの値段に納得できねえもん」
悪男の発言に、善男は反論した。
「いやいや、スープもいただいてるんだし、何も注文せず帰るなんてできないよ」
「……でもなあ。あんまり金もないしな。善男はいくら持ってる?」
善男は財布の中身を確かめた。
「今日はあまり持ってきてないよ……ええと、2600円」
「俺は1400円しか持ってきてないから……二人で4000円か」
悪男はメニューをみながら計算を始めた。
「ビール2杯で2000円だろ? 俺はこの鹿肉ステーキが食べたかったんだが、3800円だからな……」
「うーん、二人でお腹一杯になるのは無理かもねえ。主人に予算を伝えて、おまかせで作ってもらおうか?」
「おまかせったってなあ……酒も飲みたいし、4000円じゃあおつまみ程度しか出ないんじゃないか?」
「そうだねえ……。でも、お腹は減ってるし、何か食べたいよ」
二人は限られた予算で何を注文するか考えた。ビールを諦めればそれなりに料理が食べられるが、スープを飲んで温まった体は、冷たいビールを求めていた。ビールを飲みたい。しかしビールを飲めば、おつまみ程度の料理しか注文できない。
「善男……ちょっと耳を貸せ」
悪男は何かを思いついたらしく、善男に耳打ちした。
「いいか……あの主人、人が良さそうだ。好きなものを注文して、あとで金が足りないことに気づいた振りをすりゃあ、サービスしてくれるんじゃないか?」
善男は首を振った。
「そんなの駄目だよ! 主人の善意につけ込むなんて」
「じゃあ、こういうのはどうだ。好きなものを注文して、何食わぬ顔をして全力で店を出る」
「ただの食い逃げじゃないか! 絶対に駄目だよ」
「じゃあどうすりゃいいんだよ? 俺はビールが飲みたいんだよ!」
悪男が大声を出すと、善男は焦ってこう言った。
「じゃあ、いつものやろうよ」
「ああ、いいぜ」
性格が真逆の二人は、口論になることがしょっちゅうだった。こういうときは、お互いに解決策を考え、どちらかの提案を必ず実行に移すのが、二人の決めたルールだった。
「じゃあ、僕から。やはり『ビールを飲まずに、料理だけ注文する』のが一番だと思う」
善男の提案を聞いて、悪男は怒った口調で言った。
「何を言ってるんだ。ビールは必須だろ? これだけ疲れて下山して、ようやく温まった体に冷たいビール! 最高じゃないか。これでビールを飲まなきゃ、今日の苦労が報われないって」
たしかに今ビールを飲めば、一生忘れられないくらいおいしいだろう。善男は返す言葉がなかった。
「俺としては、『とりあえずビールを注文する。後のことは飲んでから考える』を提案したい」
悪男の提案に、善男は賛成するしかなかった。喉がビールを欲していたのだ。善男が頷くと、
「決まりだな。すんません、ビール2杯!」
悪男は大声でビールを注文し、二人は乾杯した。
「くー、最高!」
悪男は顔をしわくちゃにしながら、ビールを一気に飲み干した。
「おいしい。本当においしい……!」
善男も同じくビールを一気に飲み干し、ため息をついた。
「さて……」
悪男が善男に耳打ちする。
「次はどうする? 俺は『もう一杯ビールを注文』を提案するが」
善男は少し考えてから言った。
「ビールは飲みたいけど、1杯1000円だから、4杯で4000円。全財産だ。ほかに何も食べられなくなるよ。僕は『水を頼んで、2000円分の料理を注文』を提案する」
「無難な提案だな……まあ、腹も減ってるしな。料理を注文するか」
悪男は善男の提案に乗った。
「すんません、鶏の唐揚げと、枝豆、それからポテトサラダね」
しばらくして、注文した料理が並んだ。
「しまった……」
「これは完全にビールのおつまみだね……」
二人は後悔しながらも、料理に手をつけた。
「唐揚げ1000円、枝豆500円、ポテトサラダ500円だから、合計4000円。これで全財産を使っちゃったね」
善男がそう言うと、悪男は納得のいかない顔で、またも善男に耳打ちした。
「善男、俺は『ビールおかわり』を提案したい」
「悪男、まさかまた犯罪を考えているんじゃないだろうね? お金がないのに、そんな選択肢はないよ。『水を飲んで、料理を食べる』意外にはね」
「まあ、聞けよ。さっきビールを注ぐときに、ビールサーバーの泡が吹き出すような音がした。つまり、もうすぐビールがなくなる証拠だ」
「だから、何? 繰り返すけど、お金はないんだよ」
「分かってる。いいから見てろって……すんません、ビール1杯おかわり!」
善男は、勝手に提案を実行に移した悪男に対し、腹が立った。これではルール違反ではないか。善男が苛立っていると、主人がジョッキをビールサーバーにセットし、ビールを注ぎ始めた。直後、プシューッと、ビールサーバーから勢いよく泡が吹き出し、ジョッキはたちまち泡で一杯になった。それを見ていた悪男はにやりと笑い、主人のほうへ駆け寄った。
「ああ、もったいない! 主人、俺、それ飲みますよ」
「いえいえ、そんなわけには……」
断る主人に間髪を入れず悪男。
「いやいや、泡だって待てば飲めるし、一口飲みたかっただけなんで、本当に。ただ量が少ないから、安くしてもらえると助かるけど……」
主人はジョッキについた泡を拭き取りながら言った。
「それほど仰るのでしたら……分かりました。ただし、泡だらけのビールにお代をいただくわけにはいきませんので」
「主人、ありがとう。では遠慮なく」
悪男はそう言って、泡だらけのビールを片手に席へ戻った。
「ほらな? 俺の選択は正しかっただろう」
「何も言えないよ……」
善男は呆れながら答えた。悪男はビールをちびちび飲みながら、おいしそうに料理を頬張っていた。善男は苛立ちが高まり、なんとか仕返しをしようと考えた。
「悪男……最後の二択、やらない?」
悪男は珍しいこともあるものだと、目を輝かせた。
「なんだ、楽しくなってきたのか? いいぞ、やろうやろう」
「じゃあ、僕から。『これから好きなだけビールと料理を注文し、何のトラブルもなく店を出る』を提案するよ」
悪男は笑った。
「善男、さては、どうせ選ばれないからと、適当なことを言ったな? 後悔するぞ」
「どうだろうね」
「じゃあ、俺からは……そうだな。『これから好きなだけビールと料理を注文し、何食わぬ顔で全力で店を出る』を提案しよう」
善男が大胆なことを言うため、悪男は近い内容で対抗するしかなかった。
「悪男、それは犯罪だってさっき言ったよね? 残念ながらその選択肢はないよ」
「そうか。じゃあ、お前の提案に乗るしかないな」
悪男は内心ほっとしながら、善男の提案を受け入れた。
「決まりだね。じゃあ、僕は注文が苦手だから、悪男が注文してよ。好きなものを全部、なんでもいいから」
悪男は、善男が何を考えているのか分からず不安だったが、最悪の場合、全力で逃げればいいと考え、やけになって大声で注文した。
「主人、ビール2杯おかわり! あと、カレーライスと、鹿肉ステーキも頼むよ!」
追加注文を聞いた主人は、困った表情をしながら二人の席に近づき、頭を下げながら言った。
「お客様、申し訳ありません。閉店時間でございます」

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.




このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください