ひとのよ

今日はおじいちゃんの一周忌。法事の帰り、いつもの海を眺めながら、おじいちゃんのことを思い出していた。大切なことをたくさん教えてくれたおじいちゃん。僕もすっかり年をとったよ。

おじいちゃんはよく昔のことを「お祭りのようだった」と言っていた。一体どういう世の中だったんだろう。「夕凪の時代」と呼ばれている現代。昔よりも治安は悪くなっているらしい。でも、おじいちゃん曰く「殺人」は激減したのだとか。現代の犯罪のほとんどが「強盗・窃盗」だけど、理由は単純に食糧が不足しているからで、警察はほとんど機能していないから、「捕まったら刑務所行きだ」と脅える必要がなくなって、口封じのために人を殺す必要がなくなったそうだ。

「お祭りのようだった世の中」が終わったのは、おじいちゃんがまだ若かった頃。つまり半世紀ほど昔の話。その頃に何があったんだろう? おじいちゃんはいつも言葉を濁すんだけど、僕が10歳の誕生日のとき、こんなことを言ってくれたんだ。

「お誕生日おめでとう。10歳というひとつの区切りを迎えた君に、ひとつ大事な話をしようじゃないか。いいかい、よく聞くんだよ。この世界は、朝から昼、夕から夜になる。毎日、必ずね。地球が回り続ける限り、このサイクルは変わらないんだ。このサイクルの中で生き続けている限り、人の世もまた、いずれ夜が来る。そういうふうにできている。今は、分かるね。夕凪の時代。おじいちゃんが子供の頃は、まだ昼の時代だった。そう、いつも言っているお祭りのようだったあの頃のことだね。昼は長い。何千年も昼だったんじゃないかな。ただ、おじいちゃんが若い頃、『もうすぐ日が暮れるんじゃないかな』という予感があったんだ。予感はあったけど、おじいちゃんは何もできなかった。何をすればいいのか、分からなかったからね。流れに身を任せるしかなかったんだよ」

おじいちゃんってば、お父さんとお母さんの前でそんな話をするから、僕以外は皆きょとんとしていた。僕はおじいちゃんの話が聞きたくてしようがなかったから、おじいちゃんと二人で外へ出て、近くの「海の見える丘」まで歩くことにした。

「ああ、今夜は涼しいねえ。こんな涼しいのは久しぶりだ。昔は冬という季節があって、とくに寒い日は雪という白い綿のようなものが空から降っていたんだけど、今はセーターを着ることなど滅多にないからねえ。こんな寒いなら、押し入れに眠っているセーターを出しておけば良かったかなあ」

そう言いながらおじいちゃんは嬉しそうに手を擦り合わせていた。そうこうしているうちに「海の見える丘」に着いた。昼に何度か来たことはあるんだけど、夜に来たのは初めてだった。もう、このときは驚いたよ。水面に反射する星の光の綺麗なこと! さらに驚いたのが、星だけじゃなくて、別のものが光っていること! 何が光っていたのかというと、海に沈む「街灯」だったんだ。おじいちゃんに尋ねたら「アーティスト」と呼ばれる人が、この辺りが海に沈むことを見越して、街灯に細工したんだって。「おじいちゃん、これ……すごいね」。おじいちゃんは誇らしげに笑った。

「すごいだろう。こういう心があの頃の世にもっと溢れていたら、もう少し穏やかに夕凪の時代に移れただろうね。10歳になった君に言いたいのは、美しいものを美しいと思う気持ち。美しいものを子供たちのために残しておこうという気持ち。そういうものをね、ここからの眺めを見て、感じてほしかったんだよ。おじいちゃんはね、人一倍何かを残したい気持ちが強かったんだ。でもね、結局何も残せなかった。意思はあっても意志が致命的に弱かったんだ。何もできないことに気づいてからは、流れに身を任せるようになったんだよ。とりあえず、身近な人を大切にしよう。身近な人に大切なことを伝えようって、思ったんだよ」

おじいちゃんは少し淋しげな目をしていた。海の底で「信号」が点滅し、赤に変わった。「夕凪」の夜は静かで、思いのほか明るい。空を見上げると、月の周りに大きな輪っかができていた。

「日が暮れてからは……そうだなあ。一部の人は大変だったようだね。それまでの価値観が一変したのだから。『それを持っているとすごい』と思われているものが無価値になり、『それだけじゃ生きていけない』と思われていたものが求められ始めたんだ。おじいちゃん? はは、もちろんそれまでよりも生きやすくなったさ」

おじいちゃんは再び誇らしげに笑った。今夜は本当に涼しい。「寒い」っていうのは、こういう日のことを言うのかなと思った。僕はブルブルと肩をふるわせながら言う。「今は夕凪の時代だけど、いずれ夜になるんだよね。夜は暗いし、暖かくないよね。ちょっと……怖いかなあ」

「なあに、怖くはないさ。これからは、ゆっくり夜に向かう準備をすればいい。お母さんがよく言うだろう。『暗くなる前に帰りなさい』って。帰る場所は何も家だけじゃないんだ。水がやがて海に帰るように、君たちにも帰る場所がある。夜は長い。昼と同じくらい長いからね、ああやって海に沈む街灯のように、『消えない光』になればいい。光を持たずに暗くなるのを怖がっている人がいたら、君自身の光で、明るく照らしてあげればいいんだよ。夜が来る前にね――」

消えない光。あの頃は全然意味が分からなかった。でも、大人になった今、少しずつ意味が分かり始めた。あれから毎日とは言わないけど、十数年間、この海を見続けてきて、思うんだ。海はあの頃よりも綺麗になっているし、人の表情は穏やかになってきている。鳥の鳴き声は伸び伸びしているし、星の数は年々増えている。人も自然も、夜に向かう準備をしていることに気づいたんだ。それは意識せずとも、「消えない光」になるために、本能的に動かされているような、そんな気さえしている。

「光」を感じるときは、たくさんあるよ。感動したとき、嬉しいとき、幸せなとき。反対に、悲しいとき、憎いとき、妬んでいるときなんかは、「闇」を感じる。だからさ、おじいちゃん。空にきらめく星のように、海に沈む街灯のように、輝き続ければいい。たくさんの経験をして、笑顔や感動を積み重ねたら、そこに残るのが、「消えない光」なんだよね。そうだよね、おじいちゃん。

さて帰ろうと腰をあげると、海の底で何かが光った気がした。僕は海を眺めながら、「淋しがり屋だねえ」と笑った。

※芦奈野ひとし著『ヨコハマ買い出し紀行』の世界観を参考にしています。