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天国のエムへ -ひとひらハート-

2010年11月下旬、東京の友人エムが亡くなった。一部の友人にはお馴染みの僕のあだ名「ロビン」の名付け親である。ひとつ年上の女性。いつも明るくて、歌がものすごく上手で、実際にゲームの主題歌なんかを歌っていた子だ。

あれは僕が22歳くらいの頃だったかな。アルバイト先で隣に座ったエムに、いきなり「ハーフですか?」と尋ねられた。毎度のことだったから、「いやいや、違いますよ」と無難に返したと思う。いきなり絡んでくる人は苦手だったけど、エムにはあまり嫌な感じがしなかったかな。

しばらくして、同じ職場のお酒好きのエヌ氏と仲良くなった。僕とエヌ氏とエムの3人で、仕事帰りに飲んだりカラオケに行ったりしたものだった。新宿の『BERG』とか、新宿三丁目のバーとか、西新宿の居酒屋とかね。わりとあちこち行ったものだ。

その職場には一年くらいしかいなかった。僕が先に仕事を辞めて、その後はたまに会う程度だったけど、久々に会うと朝までカラオケに付き合って、エムはどんどん歌がうまくなって、仕事を辞めてから二年後くらいかな。「小さい事務所だけど、歌手になったよ」なんて連絡が入って、すごく嬉しかった。

一度、エヌ氏と二人でライブを見に行ったときは、最前列のファンのありえない動き(いわゆるヲタ芸)に苦笑しつつ、本当に歌手なんだなって、なんだか心強い気持ちになったことを覚えている。

エムはものすごく繊細な人だった。親しい人にはけっこうワガママや面倒なことを言ってくれるが、言ってはいけないラインをしっかり分かってくれていた。一度、「エムはいつもノリノリで歌うのに、僕だけノリが悪くてごめんね」と言ったことがある。当時の僕は、ものすごくシャイで、カラオケに行っても「イェーイ」なんて盛り上がれなかったのだ。歌うのは大好きなんだけどね。

で、本人は覚えていないだろうけど、エムはごく自然に「ん? そんなこと全然気にしなくていいよ。私も気にしていないし」と答えた。その言葉が嬉しくて、今でもこうして覚えているんだ。それで僕は、「ああ、この人は信頼できる人だ」って思ったんだ。東京に来て数年、ちょっと嫌なことが色々あった時期だったけど、いい人もいるんだなって。

そんなことがあって、2008年の春。エムから「乳ガンになった」と連絡が入った。ドキッとした。数年前に、叔母が同じ乳ガンで亡くなっていたからだ。その頃の僕はマッサージの仕事を始めた頃だったから、僕の力でなんとか治せないものかって考えていて、知ったばかりの情報を知らせたり、本をあげたりした。これについては、今思うと、浅はかだったなって思う。あまり具体的なことを言ってあげられなかったからだ。

2008年の暮れ、僕が岐阜に帰るってことで、エムの自宅に遊びに行った。抗ガン剤の影響で髪の毛が抜けるからと、ウィッグをつけていた。いろいろ大変だなぁと思ったけど、意外と元気そうだったから、じっくり治療すれば治るんじゃないかなって思ってた。岐阜に帰ってからは、たまに連絡する程度になった。2010年になってからは、僕自身がものすごく元気になって、これまでできなかったことにどんどん挑戦する気力が沸いてきて、東京の友人のことを思い出すことも少なくなっていた。自分のことばかり考えていてはいけないなって、反省した。

2010年11月下旬、エムは亡くなった。亡くなったことに気づいたのは、12月になって間もない、ある寒い日のことだった。

仕事が終わり、適当にネット巡回をしていたら、なぜだか分からないけど、急にエムのことが気になった。エムとエヌ氏しか登録していないSNSで、エムのページを見る。「体調が悪い」そんなことが書かれており、しばらく更新されていなかった。大丈夫かな。エムにメールを送り、家に帰る。

エヌ氏は何やってんだろ。今日はもう遅いから、明日あたり電話をしてみようと思った矢先、僕のケータイがなった。え、なんで? 慌てて電話に出る。

「すごいね、エヌ氏。ちょうど連絡しようと思っていたところだよ。久しぶり!」と声をかけるが、電話の向こうのエヌ氏はやけにテンションが低い。嫌な予感がする。

「ロビン、知っているのかい?」えっ、いや、何も知らないけど。急にエムのことが気になって。「俺も急にエムのことが気になって、さっき電話したんだよ。そしたらお母さんが出てさ、エム、亡くなったって」えっ……! しかも、エムのお母さんが、僕が送ったメールを読んでいるときに、エヌ氏から連絡があったらしい。

「……呼ばれたな。これは、東京に来いってことだよなぁ」エヌ氏がしんみりと言う。週末は何も予定がなく、しかもボーナス直後だった。亡くなってすぐではなく、少し経って、この時期を選ぶとは、さすがエム! ほんと空気読めるよなーなんて、死んでまで気を遣うなんて、どんだけ気が利くんだよ! なんつって、泣きそうになりながら話してた。

週末、もう一人共通の友人である女の子Kが、はるばる福井からやって来て、僕とエム氏とKの3人で、エムの実家に向かう。エム氏は秋田からで、僕は岐阜から。遠い、遠すぎるよ。こんなことでもなければ、3人で会うことは一生なかったんじゃないかな。エムが再会を取りつけてくれたんだね。

献花と香典を持って、エムの実家の玄関を開けると、悲しみに満ちた空気であふれていた。重たくてぬるっとした空気。お母さんや弟さん、彼氏さんの悲しみだったのだろう。エムの思い出をいろいろ話していると、周囲に気を遣っていたのだなぁと思う場面が多々あり、話しながらどっと涙が出てきてしまった。その後は楽しい思い出がたくさんあって、お母さんにも笑顔が戻ってきた。

途中からエムのライブ映像を流していたのだが、キリがないから、「じゃあ次の曲で最後にしようか」と言っていたら、「それでは最後の曲です」と映像の中のエムが言う。「私が初めて作詞をした曲です。聞いて下さい」ときたもんだ。作詞をしていたことは全然知らなかった。「きっと、この曲を聞いてほしかったんだね」と思いながら、耳を澄ます。

——ようやく夢をつかんだの。子供の頃から歌が大好きで、いつも歌っていた。事務所に所属して、仕事の依頼も少しずつ増えてきて、さあこれからだっていう時に、まさかのガン宣告。ありえないよね。本当に地獄のようだよ。だけど、私を理解し助けてくれる、大切な恋人がいる。あなたの前でだけ、私は私のままでいられる。お願い、ずっと側にいてほしい。

歌詞は全然違うけど、きっとこういうことが言いたかったのだろうなって思う。違ってたらごめんね。でも、この歌を聞いて、心の底から信じられる人に出会えて、良かったねって思ったんだ。死ぬ直前は意識もほとんどなくて、実際相当辛かったと思うけど、それでも、少なくとも不幸ではなかったと思うんだよ。だって、そんな人に出会えないまま一生を終える人もいるんだ。

ところで、もうひとつ素敵なエピソードがある。

エムが小さい頃、毎日のように遊んでいた幼なじみがいたそうだ。大人になり、何年も会わなくなっていたのに、エムが亡くなる2日前に急に電話があったそうだ。エムは何も食べられなくなり、話すこともできない状態だったらしい。エムのお母さんは、誰にも会わせないようにしていたのだけど、その幼なじみから突然の連絡が入ったのだ。「お母さん? お願い、エムに会わせて」「ありがとう。だけどエムはしゃべることもままならいの。だから来てもらっても、悲しませるだけかもしれない」「それでもいいんだよ。だってもう、僕、家の下まで来ちゃってるから。お願いだよ」

幼なじみはエムと久々の再会を果たす。やっぱり会話はできなかったのだけど、ここで奇跡が起こる。お母さんが「エム、幼なじみの○○君が来てくれたよ。よかったね。エムのこと、分かる?」体も動かず、意識もほとんどなかったエムが、どんな行動をしたと思う? 右手をばっと差し出して、「ピース!」だよ。素敵すぎる。泣けてきたよ。

エム、本当にありがとうね。君につけてもらったあだ名は、一生使い続けるよ。僕はさとくんであり、ロビンだよ。死はかなしいけど、抗ガン剤治療の苦しみから解放されて、楽になったんじゃないかな。何より、素敵な彼氏や家族、友人たちに恵まれて、幸せだったと思うんだ。

こういうことって、ブログで書いていいものかなって、迷ったけど、なんだか今夜は書かずにいられない気分になっているから、いいってことだよね、きっと。そんなわけで、天国のエムへ。ゆっくり休んでね。ロビンより。