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ドラえもんよ、永遠に

映画『STAND BY ME ドラえもん』を観てわんわん泣いた。興行収入・動員数は歴代の大長編ドラえもんシリーズを超えるほどの勢いとのことで、たくさんの人があらためてドラえもんを観てくれていることが本当に嬉しい。

僕はドラえもんをはじめとする藤子・F・不二雄作品が好きすぎるあまり、『クレヨンしんちゃん』『ポケットモンスター』『妖怪ウォッチ』といった、ドラえもんに代わる子供たちに人気の作品が登場する度、ドラえもんの存在が薄れていくようで心配だった。

でも、藤子・F・不二雄ミュージアムの予想を超える盛況ぶりや、今回の映画の大ヒットといった嬉しいニュースを聞くと、「きっとこれからもドラえもんは子供たちに愛され続けるんだろうな」という希望がわいてくる。映画は短編をつなぎあわせたものだけど、つなげかたが絶妙で、ドラえもんファンならば誰もが納得できるほど完成度が高い。

個人的には、『しずちゃんさようなら』が冒頭に使われていて、「監督、分かってるな〜!」と嬉しくなった。あの話は、のび太がしずちゃんを好きすぎるあまり、自分ではしずちゃんを幸せにできない、しずちゃんに嫌われようと決意し、人が寄りつかなくなるひみつ道具「ムシスカン」を飲み過ぎたのび太の強烈な不快オーラを乗り越え、しずちゃんがのび太を救出し、のび太はトイレでゲーゲー吐くいうものなんだけど、いわゆる名作として語られることがほとんどないから、もっと色んな人に知ってほしいと思っていたのだ。

子供の頃って(僕の場合は大人になってからもだけど)、自分が考えた脚本に酔いしれることが結構ある。のび太の行動は、周囲を巻き込んで心配させまくって、身勝手極まりないのだけど、そこにはのび太なりの愛情表現があって、のび太なりにで考え行動した結果だから、のび太のことをバカにできないし、心配になるし、見守ってあげたくなるのだ。

もうひとつ、映画を見終わって、「水田わさびドラ」の違和感がなくなっていたことに気づいた。「大山のぶ代ドラ」のイメージが強い人たちも、今回の映画で抵抗がなくなったのではないかと思う。「水田わさびドラ」に慣れなかった理由としては、声優陣が総入れ替えになったと同時に絵柄やキャラクターの台詞・性格が変わったことが影響していたように思う。

「大山のぶ代ドラ」は、温かく見守るお母さんのような頼もしいイメージだったけど、「水田わさびドラ」はのび太と一緒にはしゃぎ回り、子供っぽいイメージだ。当時、「なんか違う…!」と不安になたドラえもんファンは少なくなかっただろう。しかし、原作を読むと分かるのだが、原作のドラえもんはけっこうハチャメチャで、後期こそ「大山のぶ代ドラ」に近いが、初期はむしろ「水田わさびドラ」に近い。今回、3Dアニメーションになったことで、声優陣と絵柄が変わったときの違和感がリセットされ、新しい作品として楽しめ、結果的に「水田わさびドラ」を自然に受け入れることができたのだろう。

『妖怪ウォッチ』のゲームは、天下のレベルファイブだけあって面白い。システム自体は同社の『ファンタジーライフ』の流用だけど、子供たちに受けるのも納得できる。僕が子供だったら、やっぱりはまって妖怪ウォッチをねだっていたと思う。でもね、やっぱりちょっと薄っぺらくて、いろいろなんだか、しっかりしすぎている気がする。

ドラえもんは「作品」だけど、妖怪ウォッチは「コンテンツ」って感じ。戦略も、「あえて売り切れる程度にしか作らず、購買意欲を煽る」というもので、アニメも妖怪体操も歌もよくできているし、ビジネスとしては感服するほどうまいけど、とにかくお金の臭いがプンプンするのだ。まあ、そういう臭いは、子供たちに愛され続けることにより、制作サイドの意識が変われば薄れていくだろうけども。

やっぱり僕にとってのヒーローは、弱虫で、頭が悪くて、運動音痴で、いじめられっ子で、なまけ者で、エッチで、すぐにドラえもんに頼っちゃうけど、たまに反省して、少しずつ成長していく、のび太くんなのだ。そして、のび太くんとドラえもんという、親子のような、友達のような、恋人のような、先生と生徒のような関係が、たまらなく愛おしいのだ。そして本日九月三日は、ドラえもんの誕生日。おめでとう、ドラえもん。