「書くことがない」なんてことは、絶対にないから、たくさん文章を書こう

昔、テキストサイトやブログをやっていた頃は、「書くことがない、どうしよう?」と悩んでいた時期があった。そもそも自分で勝手にやっているサイトやブログなのだから、「無理に書く必要はない」と思うが、それ以前に「書くことがない」なんてことは、絶対にないということだけは言っておきたい。

書くことは、あるのだ。

朝起きて、会社に行って、仕事をして、帰宅して、寝る。それだけの日常でも、書ける場面はいくらでもある。

  • 朝起きて、昨日のお酒が残っている、とか。
  • 通勤途中に煽り運転を見た、とか。
  • 会社で嬉しいことや嫌なことがあった、とか。
  • ランチが美味しかった、不味かった、とか。
  • 帰宅途中にいつもこんなことをしている、とか。
  • 自宅で聞いていたラジオの話、とか。
  • 寝る前に見た動画の話、とか。

そう、誰にだって書くことはある。例えば、いまこの文章を書きながら聞いているフィッシュマンズの「WEATHER REPORT」を初めて聞いたときの思い出とか。今は書かないが、そのことについて書こうと思えばひとつの記事になるのだ。

なんてことのない内容で良い。「もう水曜日? 今週は早いなぁ」とか。「秋だから、夕焼けや月が綺麗だなぁ」とか。仕事であまり喋る機会がなくたって、頭の中では独り言をつぶやいているはずである。それを書けば良いのだ。

私が最近思ったのは、今年はセイタカアワダチソウが異様に多いということ。ススキがセイタカアワダチソウの繁殖を抑えているという話があるが、ススキが枯れ始めた途端、セイタカアワダチソウが「待ってました」とばかりに花粉をつけまくっている気がする。植物の世界でも、戦争は日々起きているのである。

こういうことを一つの記事にまとめようとすると大変だが、日記の一部として軽く触れる程度であれば、簡単である。なぜ今年はセイタカアワダチソウが多いのか、専門的なことを書こうと思うと難しいけれども、現象をそのまま日記に書くのは難しいことではない。

コラムや日記の連載を抱えている人は、なんでもないことを読み物にする仕事であろう。人間、そうそう事件やイベントに遭遇しない。些細な出来事をいかに面白いと思えるかどうかが重要である。

ようするに、どれだけ平凡な日常でも、アンテナの感度を上げておけば、日常の些細な出来事が刺激となり、ネタとしてキャッチできるのである。ネタがあれば、あとは文章力次第ではあるが、それは書き続ければ必ず上達するものでる。

今回の日記は、ご覧の通り、内容がない。しかし、読み手によっては目新しい発見があるのかもしれない。だから、この内容がない日記を公開する価値がないわけではない。価値がないわけではないのなら、公開しないわけには行かないのである。

20年間、サイトやブログを運営し続けてきて思うのは、文章を書き続けることに理由はいらないということ。将来に役立つかどうかは何とも言えないが、そもそもそんなことを考えなくても良いということ。

文章を書いている間、脳は活発に動く。その日の出来事を思い出す。つまりは脳トレやボケ防止にもなる。文章も少しはうまくなる。文章を書く習慣がつけば、他の習慣もつきやすくなる。それだけ得られるものがあれば、十分ではないだろうか。