「温かい場所」であり続けるために

「仕事を成功させなきゃ」と焦り気味の今日この頃。そういう時は、「休日でも何かしなきゃ」と思うのだが、決まって何もできない。でも、何か心に良い刺激を与えねばと思い、過去の日記を読み返していた。昔の日記のデータを探っていたら、僕がかつて運営していたサイトに対する感想記事が見つかった。

今読み返してみると、涙が出そうなくらい嬉しい内容。道理で、わざわざ記事をテキストファイルとして保存していたわけである。当時の僕は、何かしているようで、何もしていなかったし、ここに書かれているほど立派な人間ではない。でも、ここまで人の心を動かし、温かい気持ちにさせていたのだということは、事実としてとても嬉しい。

今の仕事の方向性を決めるにあたり、「温かい場所」というのは、大事なキーワードになる。居心地の良い場所は、温もりを感じられる場所である。あの頃の僕に足りなかったものを、今の僕は持っている。しかし、あの頃の僕が持っていた大切なものを、今の僕は失っているかもしれない。

以下、引用してみよう。

「温かい場所。」

ここのところずーっとチェックしているサイトがある。
今私の一番のお気に入りの場所なんだけど、
ここの雰囲気がとてもあったかくて、凄く居心地が良い。
ここにある文章すべてが、解りやすくて温かい。
別にチャットやBBSでハナシをする訳でもなく、
(というよりもチャットもBBSも置いていないんだけど)
ここにあるエッセイや日記が大好きで、
今ではここのファンも凄く多い「●●●(20年近く前、僕が運営していたサイト)」というサイト。

このサイトは、普段のストレスなんかで曇りきった心の奥が、
霧が晴れたようにクリアになる。
それは子供のようにピュアで、大人のような包容力で、
青少年のような細やかさで文章が書かれている。
ちゃんと自分と向き合い、
対話しながら生活しているのが、手に取るように分かる。
昔子供の頃に読んだ絵本のように、
安心して文章に入っていける。

このサイトとの出会いは、嬉しくもあり、悲しくもあった。
嬉しいのは、この人を知った事によって、
忘れていた感情の一部を取り戻した気がすること。
悲しいのは、現実こういう人は数少ない1人だということ。

「なんで、こんな文章が書けるんだろう。」
私は素朴に疑問を持った。

普通に生活してる中では、なかなか難しい。
いろんなストレスにまみれて、厭な事件をニュースで見たりして、
人間の裏を見る事も、
腐れきった人間関係に巻き込まれる事も、
この世の中にはありとあらゆる所に転がっているというのに。
そんな中では、自分を誤魔化したり忘れたりして、
なかなか向き合い、認める事は出来ない。

少なくとも、今の私にはこんな文章は書けない。
自分自身に向き合ったとしても、
複雑で訳のわからない理論で誤魔化してしまうかもしれない。
「細かいこたぁ気にするな」とか言って
結局考える事を止めてしまうかもしれない。
(これが一番の原因っぽい気がするが)
そんな私は、心が荒みきっているんだろうかとも思ったり。

そう思って凹んでみたりもしたけど、
それ以上に「世の中にはこんなに凄い人がいるんだ」
と気付いた方が、数倍嬉しかった。
こんなにピュアで、温かい文章を書ける人がいる。
それを知った方が、何十倍も嬉しかった。
ニュースで悲惨な事件とかがある度に「人類は」とか騒ぐ程、
悲惨でもないし、世の中捨てたもんじゃない。
世の中探せば、結構身近にこういう人がいる。

この人は、当たり前だと言うかもしれない。
それよりも、「こんな事で」ってびっくりしてしまうかもしれない。
それでも私には、凄く貴重な出会いだったと思う。
遠くから眺めている片思いのようであったとしても。

私はこの人のような文章が書ける人間になりたい。
それは見た目を真似るとか表面上同じような文章を書く、
というのではなく、こんなピュアな心を持ちつづけて居たいと思う。
そして、同じように思う人が増えれば、
このサイトの管理人さんのような人がもっともっと増えれば、
悲惨なニュースも、醜く争う感情も、
少なくとも今よりはぐっと減るんだろうな。

何度読んでも嬉しい気持ちになる。これを書いたどなたかのほうが、よほど「温かい気持ち」を持っているように見える。あれから20年。この方は今、どのような人になっているのだろうか。何も分からないけれど、きっと温かい家庭を築いていると思う。

今の仕事のキーワードは、「癒し」なのだが、それだけではなく、「温かみ」を加えよう。まるで温泉に浸かっているような。頭がぼーっとして、のんびりできるような…。そういう商品や情報を、どんどん発信していこう。

そのためには、「文章を書くこと」が重要になってくる。僕にできることはたくさんあるけれど、やはり文章は特別なのだ。言葉があるから、感情を形にできる。昔話を学んだのも、言葉の可能性を信じているからだ。

思えば何もかもが、文章で始まり、繋がってきた気がする。もちろん、文章で失敗したいこともたくさんある。それは、言葉の力が強いことの証明である。僕が文章を書く喜びや、苦しみを忘れない限り、今の仕事が世界に広がっていく可能性はなくならないであろう。