ショートショート『アール氏の栄枯盛衰』

アール氏は椅子から勢いよく立ち上がった。立ち上がる勢いが強すぎて、アール氏の足は地面を離れ、体は宙に飛んでいき、家の屋根を突き破った。

アール氏は屋根を突き破る衝撃で脳震盪を起こし、意識を失ったが、体はそのまま上空へ飛んでいく。途中、鳥の群れにぶつかり、雹(ひょう)にぶつかり、アール氏の体は急激に冷え込む大気に耐えられなくなったが、それでもなお上空――宇宙へと言ったほうが適切かもしれない――へ飛んでいった。もはやアール氏の生命は維持されていないかもしれない。それでもなお、アール氏の体は宇宙へ飛んでいった。

アール氏の体は氷に包まれ、ついに大気圏を突破し、宇宙空間へと飛んでいった。地球の引力により、アール氏の体は人工衛星と同じように地球の周囲を回り続けた。そこにたまたまホリエ氏を乗せたスペースシャトルが通りがかった。ホリエ氏は謎の氷の写真をSNSに掲載すると、またたくまに広まった。氷の写真を分析する者が現れ、氷の中に人間らしき姿が写っていることがわかった。それを知ったマエダ氏は、「GO TO THE MOON!」と叫びながらスペースシャトルに乗り込み、氷漬けの人間をサルベージした。これによりマエダ氏の評価は爆発的に向上した。

数年後、アール氏の細胞からクローンが作られた。アール氏のクローンは、なぜ氷漬けになったのかを覚えていなかった。最後の記憶は「私は椅子に座っていた。嫌な夢を見て、ビクッとして、勢いよく起きた。その時、体が軽くなったような気がした。落ちる夢は見たことがあるが、上がる夢は見たことがなかった。その後すぐに記憶がなくなった」といったものだった。

アール氏のクローンは国民栄誉賞を授与されるこが決まり、授与式に呼ばれた。アール氏は「よく分からないが幸せな人生だ」と思いながら、国民栄誉賞の証である重厚な盾を抱えながら、椅子に勢いよく座り込んだ。すると、座る勢いが強すぎて、アール氏の足が地面を割り、体は地中に埋もれていった。アール氏はミミズやモグラを踏み潰しながら、地中の深くへ潜っていった。何層もの地層を突き抜け、地球の中心に向かって落ち続けた。やがてマントルを突き破り、アール氏の体は一瞬でマグマに溶けてしまった。今度は細胞のひとつも残らなかった。

アール氏とアール氏のクローンは、「もっとも高く飛び、もっとも深く潜った人類」として、末永く讃えられたという。