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物語

エバー・グリーン

物語

 バーのマスターである川上は、閉店後の店内に残り、カクテル作りに没頭していた。
「ダメだ。どうしても思いつかない。何とか良いアイデアが浮かんで来ないものだろうか。世界一美しい、エメラルド・グリーンのカクテルを作るための……」
 
 一週間前。バーのオープン当時からずっと店に足を運んでくれている、常連客のK氏から話を持ちかけられた。
「今度ね。彼女の誕生日なんだ」
「それはそれは、おめでとうございます。何かプレゼントでも?」
「うん。大好きなこの店に連れてこようと思ってさ」
「是非、いらして下さい。歓迎しますよ」
「それでね、マスターにお願いがあるんだけど……」
「できる限りの事は協力させて頂きますよ」
「ありがとう。実は……彼女のためだけに、オリジナルカクテルを作って欲しいんだ。彼女の名前になぞらえた、グリーンのカクテルを――」
 
 出来たばかりの名もないカクテルを試飲しながら、静かに首を振る。苦い表情をした川上の頭には、K氏の顔が浮かんでいた。プライベートな付き合いまではないものの、大切なお客様。素晴らしいバースデーにしてあげたい。しかし……何度シェーカーを振っても、満足の行くものが完成することはなかった。一体全体、何杯もの名もなきカクテルを川に流したことだろう。棚に並ぶリキュール類を見渡しながら、(何かが足りない)と心で呟く。川上はうつむき、再び静かに首を振った。
 それなりに美味しく、見栄えの良いカクテルを作るのは簡単だ。だが、「今までに体験したことがなく、それでいて心から美味しいと思える」そんなカクテルを作るのは、プロのバーテンダーでも難儀である。店のマスター、そしてバーテンダーという仕事にプライドを持っている川上には、必ず最高のカクテルを作らなければならないという意地があった。
 誕生日は明日に迫っていた。何としてでも今夜中に完成させなければ。まだ見ぬK氏の恋人の、幸せ一杯の笑顔をイメージする。しかし、気を抜くと彼女の笑顔は崩れて行き、不満を含んだ表情へと変化して行く。「今夜、カクテルが完成しなかったら、K氏には申し訳ないが、店に来ないでもらおう……」しかし、そんな結末は自分のプライドが許さない。そんな未来にはさせない……川上にとって、長い一夜が始まった。

 グリーンのカクテル……最もイメージに近いのは、テキーラとミントリキュール、ライムジュースをシェークした『モッキンバード』というカクテルだ。しかし、緑色の元であるミントリキュールとライムジュースの量をいくら加減したところで、理想の色は現れてくれない。パイナップルジュースを混ぜてみたり、カクテルレモンを入れてみたり、どれだけ工夫しても、輝くようなグリーンにはならなかった。
 どうしても何かが足りない。再びシェーカーを振り始める。既にK氏のためというよりも、「これは自身に与えられた乗り越えなければならない試練なのだ。バーのマスターとして、バーテンダーとして、失敗してはならない試練なのだ」と、川上は思い始めていた。
 ふと周りを見渡すと、時計が目に留まった。時計の針は驚くほど速く回っていた。「焦っていると時間というものは残酷に過ぎ行くものだ」と苦笑した。店のオープンは夜七時。(なあに、まだ半日以上もあるじゃないか)川上は無我夢中でカクテル作りに取り組んだ。だが連日の徹夜疲れからか、いつしかカウンターの上で寝息を立て始めた。

 目が覚めると、オープン時間の直前になっていた。電話が鳴り、「仕事が早く終わったから、今から彼女と向かうよ」とK氏の声。結局、断る隙もなく、川上は慌ててオープンの準備を始めた。開店後しばらくすると、K氏とその彼女らしき人物がバーを訪れた――。
 
「本日はお誕生日だそうで、誠におめでとうございます」
「まあ、ありがとうございます」
 口ではおめでとうと言ったものの、内心はそれどころではなかった。完成しなかった焦りと、心臓が小さくなるほどの不安が混在していた。しばらく話をした後、K氏の口からあの言葉が飛び出した。
「じゃあ、マスター。例のやつをよろしく」
「はい。少々お待ちください……」
 こうなれば、何でもいいからカクテルを作るしかない。中途半端なものは出したくないが、今回だけは目を瞑ろう。これまでに作った中で、一番理想に近かっ たものを彼女に差し出そう……。彼女は期待に目を輝かせていた。それが余計に辛く、今すぐにこの場から逃げ出してしまいたかった。

  川上はシェーカーにテキーラを注いだ。これにミントリキュールとライムジュースを入れれば、モッキンバードが作れる。カクテルの味には自信があったが、どうしても手が動かなかった。
 その日は、夜空がとても美しかった。満月、眩しいほどのイエロー。月光が川上の頬を撫でる。川上の額には冷や汗がにじんでいた。ここで最高のオリジナルカクテルを出すことができれば、K氏にとっても彼女にとっても最高の一夜になるはずだったのに。
 川上は気分を変えるために、カウンターの隅の小さな窓を開けた。涼しい風。再び満月を見上げると、葉っぱの形のシルエット。(葉っぱが……?)一枚の葉がひらひらと、シェーカーの中へと静かに落ちた。それはまるで、スローモーションの映画を見ているかのようだった。奇跡の始まりだった。
 葉っぱに月の光が反射し、それは驚くほど美しい緑を醸し出していた。(一体何の葉っぱなのだろう)川上は不思議に思い、シェーカーに浮かぶ厚手の葉っぱに目を凝らし た。見たことのない種類のものだった。観察していると、葉っぱからエキスがゆらゆらと溶け出していた。シェーカーの中は、透明なテキーラから、エメラルド・グリーンに変化していった。これはまさしく、川上の求めていたものだった。

(今この場所で、世界一美しいグリーンのカクテルが誕生する……!)
川上の胸がトクンと鳴った。シェーカーに氷を入れ、ライムジュースを加え、全身全霊でシェークした。カクテルをグラスに注ぎ、仕上げに葉っぱを浮かべた。上品な甘さと酸っぱさを兼ね備えた、極上のカクテルだった。色、味、香り。どれをとっても、川上がこれまでに作ってきたカクテルの中でも最高のできばえだった。
「改めて、おめでとうございます。この世に生を享けたことに感謝を」
「素敵……本当に綺麗なミドリ色」
 ゆっくりとカクテルを差し出す。グラスが彼女の唇に引き寄せられる。口元が優しく微笑む。K氏もつられて笑った。
「美味しい……本当に。美味しい……ありがとう」
「マスター、このカクテルの名前は?」
 少し考えて、川上は言った。
「エバー・グリーン。彼にとって、あなたにとっての、エバー・グリーンです」
そう言って、川上は満面の笑みを二人に返した――。
 
 その後、川上は再びあのカクテルを作ろうと、店の近くの木々をくまなく調べたが、あのような厚手の葉っぱはどこにも存在しなかった。ましてや、甘酸っぱい液体が溶け出す葉っぱなど……思い出す度、あの日のことが幻だったのかと錯覚する。
「奇跡は、見返りを求めない善意の行動をし、努力を怠らなかった者にだけ与えられるのですよ」とは、その後しばらく川上の口癖になっていた言葉である。